田舎へ 前編
僕は祖母の住む栃木県の田舎が好きだ。
那須烏山というところで、平野が広がるのどかな所。
お盆の時期になると毎年家族で祖母の家まで行き、みんなで過ごすのが恒例だった。
虫取り、スイカ、夏祭り、川遊び、花火、親戚が集まって大人数での食事…
夏らしい、田舎らしい事はほとんどした覚えがある。
そして物心ついた辺りからは、近所を流れる大きな川沿いの、自然に溢れる道を散歩するのが特に好きになった。
夕方の涼しい時間に出かけて1時間半ぐらい歩き、帰れば丁度のタイミングぐらいで夕飯になる。
夕立が起こりやすい土地だった為、急な大雨に見舞われたりする事もあったがそれもいい思い出だ。
そんな祖母の家だが、今でも年に1回ぐらい行きたくなる。
しかし夏場は忙しい事が多い為、ここ何年かは冬や初夏ぐらいに行く事が多かった。
子供時代とは違う感覚なのでこれはこれで良かったのだが、夏に行くのもたまにはしたい。
なんて思っていたら今年はお盆の終わり、16・17日にポンと連休が出来た。
最近は有難い事に一般職もアーティスト職も忙しい。
今後も忙しくなるだろうからなかなか行けなくなるなと思っていた分、これ幸いと帰りの夜行バスの手配をし(行きは取れなかった)、ぎりぎり盆の時期に祖母の家に行く事が出来るようになった。
そして当日16日。
前述の通り、行きはバスが取れなかった為新幹線で向かう事になったが、ご存知の通り今年のお盆の終わりは台風が直撃だった。
幸い16日は台風が過ぎた後だったが、前日はJRなども全て運休だった為、当然広島駅には沢山の利用客がいた。
ホームには列に並ぶ人、駅員さんに困って話しかける人などなかなかの混雑。
新幹線も乗る予定だった便が「博多の時点で自由席はいっぱい」という事で一本遅らせるなど(自由席で買ってた為スケジュールは自由に出来た)、出だしはなかなか大変だった。
ちなみに僕は新幹線での移動が好きだ。
別に深い理由はないが、流れていく景色が好きだし、独特の静けさがいい。
そんなこんなで東京駅に着いた。
ここはいつものことだろうが、人がいっぱい。
人混みをかいくぐり、山陽新幹線から東北新幹線に乗り換えようと思った時、特急券を買い忘れていた事に気づく。
駅員さんに聞き、一旦改札を出てから切符を購入する必要があると言われたのでそうする。
そしてここで少し心に残る出来事が起こった。
券売機に向かうと、機械は全て埋まっていたが並んでいる人は誰もいない状態だった。
並ぶ位置に行こうとしたが、順路がかなりわかりにくい。
ジグザグと歩いてたどり着き、順番を待っていると横から順路を気にせずふらっと入ってきたおじさんが視界に入る。
機械の前から1人立ち去り、僕の順番が来たがそのおじさんがふらっと先に入ろうとしてしまった。
おじさんは見たところ大きな駅に慣れていない感じで、掲示板ばかりを見ていて順路にすら気づいていなかったようだ。
時間に余裕があったのもあり「まぁ別にいいか」と思ったその時、ふいに後ろからまた人が現れた。
スーツを着たサラリーマン風の方がおじさんの肩を叩き「この人並んでましたよ!」と僕の存在をおじさんに教えてくれたのだ。
おじさんは一瞬きょとんとしたが「あ、そうなの。ごめんね」といってすぐに空けてくれた。
スーツの方の行動は素早かったしおじさんに対して怒った言い方でもなく、とてもかっこよかった。
無事に切符を買えた僕は2つ隣にいたスーツの方に改めてお礼を言ったがその時も爽やかに「とんでもないです!」と返してくれ、恩着せがましさなどは一切ない。
間違いを指摘するという行為は、全くの他人相手だと難しいのが普通だと思う。
しかしその人はとてもスマートでかっこよく、「こんな人もいるんだ」と僕は感動した。
人混みや移動で疲れた心に響いた出会いだった。
そんなこんなで東北新幹線に乗り込み栃木県の宇都宮駅に到着。
実家はここから乗り換えて行くのだが田舎への電車な為本数が少ない。
待ち時間は駅ビル内などをふらふらと散歩した。
この日もカメラは常にぶら下げていたが、なかなか構える機会がなかった。
宇都宮までくると流石に人も少なく、ようやく落ち着いたのでスナップの対象を探す。
年に1回程度しか来ないと、懐かしいのか新鮮なのかよくわからない不思議な感情になりやすいが、カメラがあるとやはり新鮮だ。
駅の構造、柱の模様、窓から見える景色など今まで気にしなかった所を観察する。
時間が来て電車に乗り込み、そこからは何をするでもなくぼーっとしていた。
この電車に乗るといよいよ非日常に向かっているという感覚が強くなる。
車窓に広がるのは夕暮れの田んぼや林などの風景。
それをぼーっと眺める事で脳が切り替わっていく。
乗るのは30分ほどだが、行きと帰りでこんなに感情の違う30分はないだろう。
そして薄暗くなる頃に家への最寄り駅に着く。
日が沈みかけて暗くなるなか、祖母の家への道を歩く。
数年前からだが、近所の様子はすっかり変わってしまった。
子供の頃遊んだ公園は市が取り扱う武道館と駐車場になった。
祖母の家も、道路を広げる工事の関係でガレージや祖父母の作業部屋となっていたスペースはもうない。
当然なのだが、ここも時間は流れているのだと実感する。
しかし玄関に立ち、懐かしい匂いに包まれると間違いなく今まで過ごした祖母の家だと認識する。
祖母の顔、声、いつも手を合わせる仏壇、そしてたっぷりのご飯。
今年は夏にここに来る事が出来た。