前日
※今回の投稿はnoteの方にも同時に投稿しています。
1945年8月6日
日本人でこの日がわからない人はいないだろう。
第二次世界大戦で広島に原爆が投下された日。
僕は今広島に住んでいて、毎日原爆ドームや平和公園の側を通っている。
毎日通るたびに喪に服す訳ではないし、なくなった方もおそらくそれは望んでいないと思っているが、
しかし通るたびに何も思わないことはない。
そこには毎日沢山の人が訪れる。
日本人も外国人も、小さな子もお年寄りも。
皆原爆ドームを見上げている。
平和公園を歩いている。
興味がなさそうな人もいれば、真剣な眼差しを持つ人もいる。
そんな沢山の人を毎日見ていると「何を思ったのだろう」とか、子供がいたら「大きくなったらまた来てね」とか、いろいろな事を考える。
そんな日々を過ごし、そして今年もその日が近づいていた。
前日である8月5日。
朝起きてカーテンを開けると、とても天気が良かった。
この日は昼からの仕事だったので午前中に作業をしようと思っていたが、綺麗な空を見るとそんな気になれず、早めに支度をしカメラを持ってすぐに家を出た。
家を出ると、夏の日差しだが風が吹いていて気持ちいい。
カメラを手に、仕事場までの道のりをいつもよりゆっくり、少し遠回りして歩いた。
平和公園に差し掛かると、いつもと雰囲気が違うことに気づく。
テントや椅子、スピーカーなどが設置され、準備の人や車が沢山ある。
平和記念式典の準備の真っ最中だった。
「そういえばそうだな」と思い、そして中をゆっくりと歩いてみる。
観光客の話、蝉の声、風の音、機材を運ぶ音…
「おーい、そろそろご飯にしよう!」
作業をしていた人の、周りに呼びかける大きな声が聞こえた。
そしてその大きな声がどうも印象に残った。
「そうか、お昼時だったな」と思う。
作業員の方々は暑い中の作業を休んで、仲間同士であるいは1人でご飯を食べに行く。
凄く当たり前のことなのだが、幸せな事だと思った。
働いて、お腹が空いて、ご飯を食べる。
別に「食べ物があることに感謝」とか「生きていることに感謝」とか
そんな大きなことを思った訳ではなく、
働いて、疲れて、ご飯を食べて、仲間と話して、笑って
そういった日常的な所にその時は敏感に反応してしまった。
僕達は平和に生きている。
僕は広島の出身ではないし、戦争について詳しく勉強をした訳でもないので、その悲惨さについて今読んでる人に問いかけたり、戦争反対を訴えたりするのは今の僕のすることではないと思っている。
しかし1人1人に何かを考えてもらうきっかけを作るぐらいはしても良いと思っている。
みんな自分ごとにするのは難しいし、それは仕方がないとも思っている。
でも、小さな事でも考える事は出来るし、それがきっかけとなって後々大きなことに繋がる可能性もある。
それぞれの形で考えればいい。
重要なのは考える事をやめない事だ。